「やってみなはれ」精神の減退に危機感、改革に挑む
今回は2002年当時、サントリー会長兼社長の職にあった佐治信忠氏のインタビューをお送りします。
サントリー創業者の鳥井信治郎の孫であり、積極果敢な人物として知られる信忠氏の社長時代、サントリーでは、ビール事業で「ザ・プレミアム・モルツ」が躍進、ウイスキー事業にも力を入れ今日の「白州」などの大ヒットにつながる下地を作る一方、様々なチャレンジを続けます。このインタビューから時を経て、2014年には、1兆6500億円を投じて米国の蒸留酒最大手ビーム社を買収しグローバルな挑戦にも打って出ます。
社内で挑戦する風土が失われたという危機感を持ち、その復活を目指してアグレッシブに経営に取り組んだ佐治氏のスピリットを感じさせるインタビューをぜひご覧ください。
併せてインタビューの冒頭、編集長が「日経平均株価が9000円台を割り込みました」という言葉を発していることにも、ご注目ください。現在、平均株価は2万円台で推移していますが、当時の株式市場がいかにシュリンクしており、その中で、日本企業のリーダーがどんな覚悟を持って経営にあたっていたか、佐治氏の答えにその思いの片鱗をうかがうことができます。
掲載:2002年10月28日号(記事の内容は掲載当時のままです)
佐治 信忠(さじ・のぶただ)氏
1945年兵庫県生まれ、56歳。68年3月慶応義塾大学経済学部卒業。その後渡米し、71年3月カリフォルニア大学大学院修了。71年4月ソニー商事に入社。電化製品の営業を担当する。74年6月サントリーに入社。79年8月サントリーインターナショナルの取締役社長に就任。81年8月サントリー大阪支店長。84年6月常務取締役に就任。90年3月代表取締役副社長を経て、2001年3月代表取締役社長に就任。2002年3月から代表取締役会長を兼務。(写真:共同通信)
「やってみなはれ」精神の希薄化に危機感を抱く。
社員に「激しい提案を出せ」と迫り、事業再編の絵を描く毎日。
挑戦的な企業風土の復活に向けての策は?
尖った社員、出てこい
問 日経平均株価が9000円台を割り込みました。日本経済は危機的な状況ですが、どのようにご覧になっていますか。
答 今までなおざりにしてきた悪い膿を出し切って、21世紀型の建国をし直さないといけない時期に来ているんでしょうね。よく、「景気を浮揚させるために、新しい産業を起こすべきだ」との意見を耳にしますが、日本における最近の新しい産業というのは、IT(情報技術)産業のように、人を使わない産業ばかりです。人を使っていたのでは儲からないのだから当然ですね。そう考えると、簡単に失業をカバーできる産業なんて生まれっこない。
ですから、各種のセーフティーネット(安全網)を用意したうえで、不良債権の処理などを思い切ってやるべきです。それを実行すれば景気はもっと悪くなるし、会社員は給料も下がるかもしれない。でも、あと10年間程度は、国民は耐え忍ばなければならない。それ以外に日本の生き残る道なんてないのですから。
問 日本の病の深刻さを顕在化させないために、10年間つっかえ棒をしてきたけれど、それも限界に達したということなんでしょうか。
答 そうですね。戦後に右肩上がりの成長をしてきた日本は、汗をかかずにお金が手に入るバブル経済も経験して、進むべき方向を見失ってしまったわけです。これは経済だけの問題ではなくて、政治、教育、安全保障を含め、すべてに21世紀の新しい日本の姿を構築していかないといけない。国民も、自らの生きざまを変える必要があると思います。
問 今、日本に一番欠けているのはサントリーが掲げてきた「やってみなはれ」の精神なんだと思います。社長の目から見て、その社内の「やる気度」を10点満点で評価すると何点あげられますか。
答 残念ながら、5~6点といったところでしょう。まず、エネルギーを社内にためないと、この先の10年は乗り切っていけない。当社も高度経済成長の波に乗って成長し、様々なことに挑戦してきました。サントリーが発信するエネルギーの熱量と方向性が、製品などの形で社会に受け入れられていた。ところが、会社を創業して100年が過ぎ、大企業病の兆しのような面が出てきた気がします。
例えば外食事業で言うと、当社が失敗したレストランの物件があります。サントリー社内でやると成功しないのに、お取引先の若い企業に委ねると、成功したりするわけです。経営がうまくいかなかった理由は挙げればいろいろあるのでしょうが、私は何より、そのレストランに携わった社員の一人ひとりに、「この店をどうしても流行らせるんだ」という気迫が欠けているのが一番の原因だと思うのです。
サントリーの社員であれば、店舗が損をしても、自分の給料が減るわけではない。でも、その物件を個人経営者として手がけたら、どうだったのか。そこに大企業の社員であるという甘えはなかったのかということです。